三上 道代
秋田県出身
【資格】
公認心理師、臨床心理士、家族相談士、シニア産業カウンセラー
【特技】
力仕事、引越しの荷造り、宴会の裏方、お金の計算、早食い、大食い、感覚的な会話、山登り、体力勝負の仕事、夜ふかし
【苦手なこと】
人前で話す、論理的な会話、威圧的な人、人に頼むこと、家事全般、早起き
【好きなこと】
お祭り、花火大会、スピリチュアルなこと、心霊体験の話し、休憩、家族との時間、友人との会話、占い、海と山と草原、自然、ログハウス
【経歴】
1988年 4月 | 日本産業カウンセラー協会 産業カウンセラー養成講座受講 日本産業カウンセラー協会認定 産業カウンセラー2級収得 |
1991年11月 | 日本産業カウンセラー協会認定 産業カウンセラー1級収得(現在シニアカウンセラー) |
1994年 1月 | 1年間 東京内観研究所のスタッフとして内観者の面接(大学の卒業論文のテーマ) |
1995年 3月 | 放送大学 教養学部発達及び、教育学部卒業 |
1996年 9月 | 西荻聖和クリニック(診療内科)心理カウンセラーとして勤務 |
2001年 4月 | 日本家族カウンセリング協会家族心理士養成講座受講 日本家族カウンセリング協会認定 家族相談士資格収得 |
2002年 3月 | 大正大学大学院 文学部研究科博士前期課程臨床心理学部卒業 |
2002年 4月 | 日本臨床心理士資格認定協会認定 臨床心理士資格収得 |
2002年 7月 | (2008年3月まで)「(株)ピースマインドのカウンセラーとして活動 |
2003年 4月 | 公立中学校スクールカウンセラーとして勤務 |
2007年 1月 | 企業カウンセラーとして勤務 |
2005年 4月~ | 日経新聞コラム『心のサプリメント』3年間 執筆 |
2006年11月 | 共著出版・働く女性のための『こころのサプリメント』マガジンハウス発行 |
2018年11月 | 公認心理師試験合格(2019年2月登録) |
【所属学会等】
・日本心理臨床学会 正会員
・日本公認心理師協会 会員
・日本ゲシュタルト療法学会 会員
・日本臨床心理士会 会員
・東京臨床心理士会 会員
・東京学校臨床心理士研究会 会員
・日本産業カウンセラー協会 会員
・日本家族カウンセリング協会 会員
・ゲシュタルトアソシエイツ 会員
・ゲシュタルトネットワークジャパン GNJ 会員
【カウンセラーの心のプロフィール 】
1955年、秋田県にある天理教の教会の次女として生まれる。
父親は教会長の息子として大切に育てられ器用でやさしい性格だった。
母親も教会長の娘として育ち美人で穏やかな性格だった。
両親の結婚後、父親は母親を溺愛し非常に仲の良い夫婦だった。
しかし父親は第2次世界大戦に出兵し、戦地で捕虜として数年間抑留された。
その間は想像以上の拷問にあっていたらしい。戦争が終わり戦地から帰った父親は、人が変わったように精神的にあれアルコールに浸り母に暴力を振るうようになっていた。
私自身はそんな家庭の中で両親の諍いに心を痛めびくびくしながら幼少期をおくった。
母親は心労もあって5歳の時突然肺炎をこじらせ死亡。
その後、母親代わりとして可愛がって育ててくれていた祖母もまもなく脳卒中で寝たきりとなり、父は幼い子供と寝たきりの祖母を抱えてますます荒れるようになった。
祖母が寝たきりになってから3年後に幼い私のちょっとした意地悪を最後に祖母は突然危篤に陥り死亡した。
その後父は再婚。気の強い継母とはよく喧嘩していた。
しかしある日、継母が弟を虐待していたことを知り、許せなくなって姉と二人で義母を追い出した。
弟が小学校に入学してから弟の学習障害が発覚。
その件で学校や近所でいじめを受けるようになる。
弟だけではなく私自身も小学校入学当初から、学校で話すことが出来ない情緒障害(場面寡黙)であったが、何の援助も無く育つ。
このような生育暦の中で、父親も母親も祖母も助けたいと心の奥底で願い、天理教の教会の仕事をしても心を救われていないことの現実に非常に疑問を感じて育つ。
中学3年生の時に父親が3度目の結婚をする。宗教熱心な継母との心の葛藤を感じながら送る。高校3年生の時、大学進学を目前に姉がトラブルを起こし父親が今までに以上に家庭内で荒れ、それまで目指していた進学を反対され、それまでこころの拠り所だった夢を断念する。家出同然に上京し3浪する。その後福祉関係の専門学校に進学し福祉施設で働く。
しかし福祉施設で援助することに疑問を感じるようになる。
1984年~85年
住居トラブル、婚約破棄、失業、親友との絶縁、父の死、自己の病気とあらゆる災難に見舞われる人生の底つき体験をし、これ以上落ちることがないと実感。
ある意味腹が据わり、以前からやりたかったカウンセラーの道を志し、カウンセリングの勉強を始める。
また、全ては自分の心のありようが招いたことと自覚し、自己改革を目指してカウンセリングを自分自身が受けることを決意する。
1995年
自分自身のカウンセリングもある程度まで進み、「今の自分だったらカウンセラーとして働けるかも知れない」と直観的に感じた頃、心療内科のカウンセラー募集記事を目にする。
応募者多数の中から選ばれカウンセラーとして本格的にカウンセリングの仕事を開始し、26年間プロのカウンセラーとして活動を続けている。